『中央公論』を『読売』ナベツネは見捨てるのか

ナベツネの“伝記”を掲載した『中央公論』

「中央公論は日本で最も歴史と伝統のある出版社であり、その灯が経営上の理由で消えるようなことになれば、わが国の出版文化に与える損失は計り知れない。それは言論界の一員として看過できず、出版文化を守り発展させていくために今回支援を決断した。」
 これは、1998年12月に『読売』のナベツネこと渡辺恒雄のセリフ。
 いまだに「読売新聞社」の代表権と編集主幹の肩書を離そうとしない“権力の権化”のナベツネは『中央公論』を支援する10年前のこの高邁なセリフを忘れたらしく、来春にも抜本的見直しをし、同誌が廃刊の危機に直面している。

 10年前に『読売』が支援を表明する直前、ナベツネは『中央公論』に7回にわたる“自伝”の連載を始めた。それはインタビュー形式で、「政策研究大学院大学」教授が3人掛り。
 その内容といえば、3人もの大学教授が交代で9回ナベツネと会い、ナベツネが延々と喋る。この08年11月号と12月号に関する新聞広告には<短期集中連載、政治記者一代>、<哲学雑誌に熱中した東大生が読売入社。特オチに泣く青春編>などのタイトルが特大の活字で並んだ。

 また<1950年以降、一新聞記者として時の政治を追い続け、大野伴睦、中曽根康弘をはじめ多くの政治家と太いパイプを構築、政界に自らも影響を与え続ける異色の大物ジャーナリストが語る戦後政治の表と裏>などのリード記事が並んだもの。
 これはロングインタビューによる“自伝”なので我田引水、自画自賛のオンパレードだから鼻もちならないのだが、大物ジャーナリストの“自伝”にしては噴飯ものだった。つまり、<老害ジャーナリストの自慢話>以外の何ものでもない。

 その一部を抜すいしてみると「荒垣秀雄さんに人物評論をかいてもらったことをよく覚えているな」、「森本○○に『おまえは文章がうまい』とほめられたもんだ(笑)」、「オッペンハイマーの原子力について、の論文も僕が翻訳した。(中略)僕はその武谷(三男)さんにオッペンハイマーの原文と僕の翻訳を見てもらった。結局全部朱を入れて直してくれる。『僕の出来はどうでした』と尋ねると、『まあ70点かな』と言ってたよ。しかし会社には知らん顔して、僕がしたことにして翻訳料をもらったけどね(笑)」、「僕はまあ武骨で、当時映画なんて見ている暇はなかったんですよ。共産党で忙しくて、出たり入ったり、共産党運動と反共運動と両方やってるんだから。」

 こんな私的回顧が、1回の連載で27頁も延々と続く。そして共産党運動をやりながら反共運動もしたことなどを告白しているが、よく言えばバカ正直で、悪く言えば節操がないか、ボケが始まっているかのどちらかだ。それが『回顧録』として単行本(600頁・2,300円)にしたところで売れるわけがない。すぐ文庫本となって命脈を保っているが、『中央公論』はナベツネのオナニーの手助けをさせられたようなもの。
 自ら影響力のある媒体に自分の“伝記”を掲載させるなど、ジャーナリストとしては自戒すべきだし、恥ずべきこと。こんなことだから読者は離れてゆく。


「オイ、中央公論はこんなに赤字か。もう面倒みるのよそうか」と言ったとか言わなかったとか

 120年の歴史を誇る月刊誌の『中央公論』は年間1億円以上の赤字を出している。それはナベツネの“自伝”を出版したことでもわかるように、スポンサーである『読売』主導では読者に受け入れられない。もし、同誌が休刊か廃刊ということにでもなれば、ナベツネの「出版文化を守り発展させてゆく」と切った啖呵はウソだったということになる。

 10年ほど以前にナベツネは『週刊現代』で批判されるや、毎週月曜日に掲出していた同誌の広告掲載を拒否していたことがある。そこで“仕置人”が『読売』に問い質したところ『読売』広報では、「週刊現代のようなハダカの多い低俗なものは載せません」と言った。そこで“仕置人”は、「じゃあ週刊ポストのほうがハダカが多いじゃないか。悪口を書かれたからといって、意趣返しに広告を出させないというのは大新聞のやることじゃない」と怒ったことがある。

 いまや「朝日新聞社」の『論座』、「集英社」の『プレイボーイ』が休刊を発表したし「講談社」の『月刊現代』も休刊を取沙汰されている。



左は、政治をカネで汚した中曽根。右は新聞を権力維持に利用しているナベツネ